同年代の友達との会話で、必ず私に浴びせられる台詞。「いいじゃん、結婚してるし」。
何がいいのか?
恋人がいない人からすれば、「いいじゃん、旦那さんに愛されてるんだから」。仕事を辞めたい人からすれば、「いいじゃん、旦那さん稼いでるなら仕事辞めれば」。
わかる、わかるよ。気持ちは。
確かに、旦那には愛されているし、仕事も辞めようと思えば辞められるのかもしれない。
だけど、旦那に愛されていていつでも仕事を辞められるんだから、愚痴をこぼしてはいけない?悩みが贅沢?
そうか、これが年齢を重ねるということ、環境が変わるということなんだなあと、私はその言葉を聞くたびに、嫌でも実感させられる。
先日、酒好きな女性3人で赤羽に昼飲みに行った。個人的に最高の土曜日。
仮にAちゃんとBちゃんにしよう。
15時に集合して、せんべろに繰り出した私たち。1軒目でほろ酔いになり、次の店を探していると6人くらいの男女(男5、女1)に声をかけられ、一緒に飲むことに。
そこまでは全く問題がない、私は知らない人と酒を飲むことに抵抗がないし、むしろ楽しめる部類だ。男性からの性欲を感じない場に限るが。
でもそこには明らかな性欲があって。
SかMか、足が綺麗、どんなプレイが好きか、そんな話が飛び交っていた。
酒がまずい。気持ち悪い。早く3人で飲みたい。
そんな気持ちは持ちつつも、私も25歳の大人なので、適当に流しつつ時間を過ごした。
そして退席時間になり、やっと終わった、と思っていたら、AちゃんもBちゃんも、当たり前のように次の店を一緒に探していた。その人たちと。
最悪。帰りたい。
そこからもう1軒行って、解散。
Bちゃんはその場に残って3人くらいでもう1軒行ってたな。
帰って、旦那さんに愚痴を話していたら、話しているうちに泣いていた。
そこで気付いた。
あ、私傷付いてたんだ。
今まで何となく、気付かないフリをしていた。というか、気付きたくなかった。
生きている環境が違う人とは分かり合えない、ということに。
生きている環境、は大袈裟かもしれないが、女性は、「独身」「既婚」「子持ち」、そのステータスが違えば、分かり合えることの方が少ないとは思う。
私に「いいじゃん、結婚してるし」と言う友達とはかつて、「あー!結婚したい!」と叫び、理想のタイプや理想の生活を語り合っていた。
当時は、本気で思っていたし、その願望が叶うとか叶わないとかまでは考えていなかった。
ただそれを言い合って笑ってる時間が楽しい、それだけで良かった。
その願望が叶った今、現に私はとても幸せだ。旦那さんはとてつもなく優しく、面白く、私を愛し、大切にしてくれる、一生の味方だ。
そんな人が毎日隣に居る私が悩みを持つなんて、確かに贅沢かもしれない。
だけど、人は悩むし、悲しい時は悲しい、辛い時はどうしたって辛い。
私は、どんな悩みにも、どんな愚痴にも、「いいじゃん、〇〇なんだから」という言葉は返さない人でありたい。
悩みの大きさは絶対に目に見えないからこそ、できるだけ大きいものとして想像し、対話できる人でありたい。
結婚してもしなくても、子供がいてもいなくても、友達とはずっと同じことで笑い合える、と本当に信じていたし、小さな違和感には目を瞑れば、今も笑い合えるかもしれない。
でも、あの時みたいに、お腹が痛くなるくらい、涙が出るくらい笑い合うことはきっと出来ない。
これが大人になるということか。ムカつくな。
だけど私は、大人最高、と思ってしまう。
なぜなら、今週末は家で昼から酒を飲む予定だからだ。