人性燗

既婚OLが思うこと

25歳の分岐点

年末年始休暇、地元関西に帰って友人数人と会った。

 

地元の友人は、少なくとも半年は空くので、人間性が変わったなあと思うことも多々ある。

 

生涯の親友と言える友人は言っていた、「今が分岐点だと思う、結婚すらしない、子供を持つ持たない、仕事を頑張る頑張らない、そういう分岐点だと思う」と。

 

本当にそうだと思う。彼氏を探している友人もいれば、一旦今の彼氏とは別れて海外赴任を決めた友人もいる。

 

そこに正誤は絶対にないけど、自分の中の優先順位を固めた者勝ちだとは思う。

 

皆、私生活と仕事のどちらも幸せになりたい。けれど、どうしたって比重は決まる。それを客観視して、自分のベストな比重をいち早く決めた者がいち早く自分なりの幸せを手に入れることができると思う。

 

あれもこれも欲しい、そんなのは当たり前で、でもそこまでの能力がない人がほとんどで、それをいち早く自覚することは人生においてわりと重要で。

 

私は、正社員であること、それなりの知名度のある企業に勤めること、学歴を無駄にしないこと、これが優先事項だ。意外とプライド高いよなあ。

 

でもこの前提が欠けてしまうと、結婚しても子供を産んでも、幸せと思いきれない。

 

25歳。得たものが沢山あるからこそ、残すものと捨てるものの判断に迷う。でも、自分は身一つだから、1人で抱え切れるものだけを大切に生きていきたい。

 

酔っているのでこの辺で。

 

「いいじゃん、結婚してるし」という呪縛

 

同年代の友達との会話で、必ず私に浴びせられる台詞。「いいじゃん、結婚してるし」。

 

何がいいのか?

 

恋人がいない人からすれば、「いいじゃん、旦那さんに愛されてるんだから」。仕事を辞めたい人からすれば、「いいじゃん、旦那さん稼いでるなら仕事辞めれば」。

 

わかる、わかるよ。気持ちは。

 

確かに、旦那には愛されているし、仕事も辞めようと思えば辞められるのかもしれない。

 

だけど、旦那に愛されていていつでも仕事を辞められるんだから、愚痴をこぼしてはいけない?悩みが贅沢?

 

そうか、これが年齢を重ねるということ、環境が変わるということなんだなあと、私はその言葉を聞くたびに、嫌でも実感させられる。

 

先日、酒好きな女性3人で赤羽に昼飲みに行った。個人的に最高の土曜日。

仮にAちゃんとBちゃんにしよう。

 

15時に集合して、せんべろに繰り出した私たち。1軒目でほろ酔いになり、次の店を探していると6人くらいの男女(男5、女1)に声をかけられ、一緒に飲むことに。

 

そこまでは全く問題がない、私は知らない人と酒を飲むことに抵抗がないし、むしろ楽しめる部類だ。男性からの性欲を感じない場に限るが。

 

でもそこには明らかな性欲があって。

 

SかMか、足が綺麗、どんなプレイが好きか、そんな話が飛び交っていた。

 

酒がまずい。気持ち悪い。早く3人で飲みたい。

 

そんな気持ちは持ちつつも、私も25歳の大人なので、適当に流しつつ時間を過ごした。

 

そして退席時間になり、やっと終わった、と思っていたら、AちゃんもBちゃんも、当たり前のように次の店を一緒に探していた。その人たちと。

 

最悪。帰りたい。

 

そこからもう1軒行って、解散。

Bちゃんはその場に残って3人くらいでもう1軒行ってたな。

 

帰って、旦那さんに愚痴を話していたら、話しているうちに泣いていた。

そこで気付いた。

 

あ、私傷付いてたんだ。

 

今まで何となく、気付かないフリをしていた。というか、気付きたくなかった。

生きている環境が違う人とは分かり合えない、ということに。

 

生きている環境、は大袈裟かもしれないが、女性は、「独身」「既婚」「子持ち」、そのステータスが違えば、分かり合えることの方が少ないとは思う。

 

私に「いいじゃん、結婚してるし」と言う友達とはかつて、「あー!結婚したい!」と叫び、理想のタイプや理想の生活を語り合っていた。

 

当時は、本気で思っていたし、その願望が叶うとか叶わないとかまでは考えていなかった。

ただそれを言い合って笑ってる時間が楽しい、それだけで良かった。

 

その願望が叶った今、現に私はとても幸せだ。旦那さんはとてつもなく優しく、面白く、私を愛し、大切にしてくれる、一生の味方だ。

そんな人が毎日隣に居る私が悩みを持つなんて、確かに贅沢かもしれない。

 

だけど、人は悩むし、悲しい時は悲しい、辛い時はどうしたって辛い。

 

私は、どんな悩みにも、どんな愚痴にも、「いいじゃん、〇〇なんだから」という言葉は返さない人でありたい。

悩みの大きさは絶対に目に見えないからこそ、できるだけ大きいものとして想像し、対話できる人でありたい。

 

結婚してもしなくても、子供がいてもいなくても、友達とはずっと同じことで笑い合える、と本当に信じていたし、小さな違和感には目を瞑れば、今も笑い合えるかもしれない。

 

でも、あの時みたいに、お腹が痛くなるくらい、涙が出るくらい笑い合うことはきっと出来ない。

 

これが大人になるということか。ムカつくな。

 

だけど私は、大人最高、と思ってしまう。

なぜなら、今週末は家で昼から酒を飲む予定だからだ。