人性燗

既婚OLが思うこと

夫婦は努力で成り立っている

離婚して後悔したことは?というアンケートに対して、「特にない」の回答がいちばん多い、という内容の記事を見た。

 

こういう記事を見るたびに、自分は幸せだなと思う。

でも、私たちの夫婦生活が上手くいっているのは、旦那の考え方がとても大きいと思っている。

 

私は元々、人に優しくすること、人の気持ちを考えること、されて嫌なことはしない、など、基本的に他人を中心とした世界に生きていたし、特に苦しさも感じてなかった。

基本的に人からは(男女問わず)好意を持ってもらうことが多かったし、その場にいる人全員が楽しい方が良かったし。

 

一方で旦那は、「人に優しくするのは自分がやりたくてやっているし、見返りは求めない」「人の気持ちは考えてもわからない、自分がしたいようにする」「嫌なことされたらやり返す、自分が可哀想」という考え方を持っている。

 

人それぞれかもしれないけど、私はこれを聞いた時に、「生きるの楽そうだな」と思った。そこで、私が今の自分の生き方をしんどいと思っていることに気付いた。

 

そして旦那の考え方でいちばん好きなのが、「人は変えられないから、自分を変えるしかない」という考え方。

そして加えて、「自分を変えられるのは自分しかいない」と。

 

この自立心こそが、私たち夫婦を綺麗に成り立たせているのだと思う。

 

夫婦になると、どうしても、相手に頼りたくなるし、自分の辛さや悲しさを相手にどうにかして欲しくなってしまう。

きっと、相手はその努力はしてくれると思う。例えば、辛いことがあって泣いている時、相手は色々な言葉をかけてくれて、隣に居てくれていたとする。それでも、物理的に涙を止められるのは自分しかいない。

 

それを、「貴方がちゃんと慰めてくれないから涙が止まらない」と相手を責めてしまったら、愛は減ってしまうと思う。

 

だから、夫婦になると、よりいっそう、自立が重要になると思う。

 

こんなこと言ってる私も、えんえん泣く日はあるし、旦那に八つ当たりする日だってある。でもその度に、自分で落ち着こうと努力するし、旦那は私の気持ちを理解しようと努力してくれる。そしてその努力をお互いが意識し合い、は?なんで今その行動?とか思っても、「相手は私を想ってこの行動をしている」ということを、無理にでも思う。(多分、冷め切ってない限りは、実際そうだし。)

そこまでして愛は保てるんじゃないかなあ。

 

そこまでして結婚したくない、という意見もあると思うし、その気持ちもとてもわかる。

 

ただ私は、今の旦那と出会って、やっと生きる意味が決まった。そのくらい愛おしい存在に出会えたこと、本当に幸せに思う。

歳を重ねると思う、友達増えたなあ

今日は26歳のお誕生日。おめでとう自分。

 

昨日の夜、旦那がカウントダウンしてくれて、特大クラッカーが飛び出し、プレゼントを貰った。

 

なんて幸せな人生だろうと思った。大好きな人が私のために時間とお金をかけてお祝いしてくれる、私よりも嬉しそうにしてる、こんなにも幸せなことはない。

 

両親や兄以外に、こんなにも大切だと思える人と毎日同じ家で過ごせることを心から幸せに感じて眠った。

 

翌日、誕生日当日の朝、私は大人なので普通に会社に行った。

会社の人は私が誕生日だなんて知らない。(同部署の仲良しな先輩1人を除くけど)

 

会社に向かう電車で、大学の友達からおめでとうのメッセージ、嬉しい。

同じく電車で、他部署の超仲良しな先輩からおめでとうのメッセージ、嬉しい。

会社に着くと、出生時間に合わせた両親からのメッセージ、嬉しい。

働いてると、中高の友達、大学の友達、大学時代のバイトの友達、同じ部署の先輩、会社の元同期、大人になってからできた友達、色々な人からの沢山のメッセージ、全部嬉しい。

 

ああ、私、こんなに友達居たんだ。

こんなにも、私にとって大切な人がちゃんと居たんだ。

 

中学、高校、大学、私は「私友達居ないからさ〜笑」とよく言っていた。

そしてそれをいじられていた。(から、周りもそう認識してたんだと思う。)

 

でもそれは、「友達が居ない」のではなくて、「友達といえるほど相手を信頼する勇気がない」だったし、「ありのままの自分を表して認めてもらう勇気はない」だったんだな、と今気付いた。

 

私は私を大人にするために、大したものではないけど、今日まできちんと努力してきたと思っている。

 

中学高校では(女子校だったので)、女社会で生きていくために、自分のキャラを認識して、相手の気持ちを想像しまくって行動していたので、想像力は今でも優れているし、その人の特性を認識することが、人より少し得意な気がする。

 

大学生では男女について知り、おかげで可愛くなりたいという気持ちが芽生えて、努力した。新しく出会う人からは、ありがたいことに容姿を褒めてもらえる。

 

就職してすぐ、近くに家族や恋人も友達もいなかったので、とにかく本を、小説を沢山読んだ。少なくとも語彙力は養われたと思うし、文章を作ることを楽しいと感じられるようになった。

 

社会人を経て、会社や社会には自分とは正義が違う人が沢山いることを知った。でもそれを受容する努力をしたし、それは今でも続けている。

 

もちろんこれらは、全てが努力とは言えない。運もあるだろうし、恵まれた環境があったからこそできたこともあると思う。

 

だけど、この今までの自分なりの努力を、私は自覚しているし、結果はどうあれ、現状維持ではなく、常に少し上に上がろうと、頑張れる人間でよかった。(少しだけど)

 

おかけで、私は今の自分がすごく好きで、だからこそ人に素直に接することができて、その私を好きだと言ってくれる人が周りに居てくれる。やっと友達ができたような気がする。

 

思春期の頃は、「友達が大切」という気持ちが全くわからなかったけれど、26歳になった今、やっとわかる。

友達は、とっても愛しい存在だ。

 

 

 

教室では交わらなかった人が大人になると超仲良しになったりする

同期との飲み会帰りです。

本当に楽しかった。

 

新卒で入社していちばん辛い時期を一緒に過ごした2人。

言葉を選ばずに言えば、もし学校が一緒だったら、同じグループにはならないタイプ。見た目だけで言うと、自分よりは地味な感じの2人。

 

今は全員違う場所で働いていて、いちばん初めに異動したのが私で、そのとき、「出会った時は、仲良くなれなさそうだなあと思ってた」って言われたのを忘れられない。

 

私は、自分で言うのもなんか違う気がするけど、多分中身はすごく真面目だけど、外見がちょっと派手だから、勘違いされることが多い。

それに慣れてたから、話しかけやすいように、物腰柔らかに、笑顔多く人とは接してきた。

 

同期は、それをわかってくれた数少ない友人だ。3人で歩いてると、多分私だけちょっと浮いてる。私がちょっと派手で、2人はちょっと地味。

 

でも、居酒屋に入って一緒の卓に座ってしまえば、私が弱音を吐ける場所になり、私がいじられる場所になる。

それがすごく嬉しい。

 

2人は異性だけど、性別を感じさせない。お互いのパートナーを心から尊重している。それがわかる。

全員が全員の幸せを心から願っている、それがわかる。

 

きっと、教室という狭い世界では交わることのなかった私たちが、月に1回は必ず会い、酒を飲み、結局同期はここしかいないよ、と笑い合えることを本当に嬉しく思う。

 

大人になった特権。

大人も悪くないな。

 

 

 

 

大人と大人の関係は難しい

数ヶ月前の部長はとても優秀で、上司としてはもちろん、人としても尊敬できる女性で、その人になりたい一心で仕事をしてた。

 

でも、家庭の事情で異動してしまって、新しい上司がきて、2ヶ月経った。

 

今日、部署での飲み会があった。

その人が非難される場面が多々あって、でもその上司は、そうだよね、ごめんね、ってずっと言ってて。

 

本当に嫌な気持ちになった。

 

言ってる側にも非があるかもしれないのに。自分のやり方を見直そうとしたことはあるのか。相手ではなく自分を変える努力をしたのか。

部署歴は長いから経験値は高いけど、でも、何か自分にも間違った部分があるかもしれないのに。

 

新しい部長に対して、あの時こうしてほしかった、これを聞くのはやめてほしい、って、全部その人基準で話してるのが、違うと思ってしまった。

 

気持ちはわかるけど、それでも、片方だけが歩み寄る関係は成立してない、お互いが同じくらい歩み寄らないと。

 

優しい人が損をする、それを目の前で見せつけられてしまった、悲しい。

 

大人になるにつれて、自分にとっての「正」を固めてしまうんだと思う。それが経験であり自信に繋がるんだと思う。

 

でも、他者の「正」も理解できる人で在りたい。受容できなくても、理解できる人で在りたい。

 

大人になるって難しいな。

 

 

 

 

どれだけ環境が変わっても、大切な人の幸せは祝福できる人間でありたい

今日は、いちばんの友人とランチ。

結婚相談所に登録したらしい。

ずっと恋人が居なかったけどアプリもしないし合コンなんてもちろんしない、多趣味が故に恋人不要そうな彼女だった、だから、「ああ、彼女は結婚したかったんだ」という驚きがまずあった。

 

話をする中で、「どういう人がいいのか分からない」と何度も言っていて。

それは、「自分がどういう人が好きかわからない」ではなくて、「自分がどういう人を選ぶべきかわからない」だったように思う。

 

私も1人としか結婚したことないし(この先もずっとそのつもりだし)、分からないけど、結婚には「こういう人を選ぶべき」とか「こんな人の方が幸せになれる」とか、そういう一般論みたいなものは通用しない。

 

人の数だけ性格があって、人の数だけ生活があるから、結婚は「人それぞれ」がとても大事だと思う。

 

何よりも人と比べても無駄なことなのに、何よりも比べてしまう気がする。

 

その友人とは中学からの友達で、何を話しても楽しくて誰と会う時よりも笑っていたのに、大人になるにつれて違和感を少しだけ感じるようになってしまった。

 

彼女と共通の友人の話をしていると、「あの子、あんな人と付き合ってたら絶対幸せになれないよね」とか、「あの子は絶対結婚したがってる」とか、「絶対」をよく使うようになった気がする。本人は無意識だと思うけど。

 

何事においても、「絶対」はない。

そして、相手の感情を憶測だけで「絶対」と言ってしまうのは、あまりに悲しい。

 

どれだけ仲の良い友達でも、24時間365日一緒にいるわけではない。

 

私達が接する他者との時間は、どうしたってその人の人生の一瞬でしかない。そんな一瞬から分かることなんてほんの一部しかない。いや、一部にも満たなくて、もはや虚像な可能性だってある。

 

だから、そんな一瞬からその人の幸せを決めつけるなんて行為は、とんでもない失礼だと思う。

 

でもこんなふうに思えるのは私が今とても幸せだからかもしれないし、世界一の旦那が居るからかもしれないし、自分に余裕がなかったらこんな風に考えられないかもしれない。

 

だから、彼女には、そういう事に気付けるための何かに、いつか出会って欲しいと心底思う。

それは異性の存在でなくても良い、何でも良いから、きっかけがあればと願う。

誰が何と言おうと、これが私の幸せだ、と胸を張って言える日が彼女に訪れてほしい。

 

正直私は、身内以外の幸せは結構どうでも良い。

極端だけど、昨日一緒に飲んでいた友人や先輩が突然亡くなっても、泣ける自信がないくらい、その人たちの幸せには無関心だ。(と思う。)

 

でも、彼女には本当に幸せになってほしい。哀れみと思われてもいい。

それでも私は、彼女にとっての幸せを心から祝福したい。

 

アドラー心理学、強すぎる

「嫌われる勇気」読みました。

 

あの本が流行り出した時、私は父に「そんなに皆人に嫌われたくないのかな?私全然平気〜」とか言ってたわ。最悪。

当時大学生とかだったし、そりゃ平気だわ、本当に黙って大学生の私。

 

あの本は、そういう問題じゃないしそういう次元じゃなかった。

私は評論家でも何でもないので、考察とか述べたいわけじゃなく、感じたことを書き連ねたい。

 

人は変われるな、と思った。本気で。

私は自分自身はもちろん、他者も含めて、人間なんて変わらない。結局根底にあるものは同じ。と信じてたし人より強く思ってた気がする。

 

でもなんか、全然違うっぽい。

主観ひとつで、世界は綺麗に変わる。家族とか友達とか恋人とか、本当に関係なくて、ただ自分の存在だけあれば、見える世界は変わる。

 

わかる、キモい。自己啓発読んだ後のこの感想はとてもキモい。でも思っちゃったからしょうがない。

 

大切なことがたーーーーーーーくさん詰まった本だけど、私がいちばん残ってるのは、「自分が他人の人生を生きたら、自分の人生は誰が生きるの?」(多分こんな感じの文章)ってこと。

 

いや、それな?

 

「自分は他人の期待に応えるために生きてるのではないし、他人は自分の期待に応えるために生きてるのではない」って!!!本当にそれな!!!!!

 

私、物心ついた時から、人の気持ちを何よりも大切にしてきたし、そうできる自分を誇りに思ってた。

だから、夫も家族も友人も、いま周りにいる人達は素敵な人ばかりなんだって信じてやまなかった。

 

でも同時に、その代償が人よりも大きすぎるとも思ってた。

この人は相手が私じゃなかったらこんな酷いイジり方しないだろうな、とか、これって私じゃなかったらセクハラって騒ぐから普通しないよな、みたいな。よくわからない例外みたいなポジション。

 

そんな代償、不要だったっぽい。

 

私、自分の人生生きたことないかも、半分マジで。

でもそんな自分が楽だったんだよね、だから、ここまで気付かなかった、全部全部言い訳だったってことに。強くなれない言い訳にしてただけだったことに。

 

アドラー心理学に触れたことない人は、何言ってるかさっぱりと思うけど、ぜひ読んでみてほしい。

 

人によっては全然刺さらない人もいるかもしれないけど、ちょっとでも自分に違和感を持ったことある人は救われたりするかも。しかもその瞬間だけじゃなく、その瞬間からこの先の人生ずっと。

 

世界は、思ってるよりもずっとずっとシンプルみたい。

今日から、アドラーを心に飼う(急にアホっぽい)

 

 

人生でいちばん大切なものなんて常に変わる

酔ってます。

部署の飲み会の後。性的対象じゃない異性に、フロアで私がいちばんかわいいですよね?って聞く、本気かネタかよくわからない質問をして笑いをとる私。

 

なんで本社異動できたんですかね?って聞かれた上司が、いちばん動かしやすかったからね、って答えられた私。

 

お疲れ、味方はビールとハイボールだったね?まじお疲れ。

 

頑張るか頑張らないか、これは社会人になってこそ大事で。

 

学生の時って、頑張らなかったら赤点取るし第一志望には受からないし浪人する。

 

当時の自分にとってはとんでもないこと。でも、社会人になると、会社員って、頑張らなくても会社に在籍できるし、給料は貰える。運が良かったら、上司の機嫌さえ取れば偉くなれる。

 

私は頑張りたくない。でも、その代償として、社会人○年目なのにこれできないんだ、とか、これ知っとかないとやばいでしょ、とか、付きまとう。ずーっと。

 

頑張りたくないなら、契約社員になれば良かったし、フリーターになればよかった。でもそうならなかったのは、プライドがあったから。

 

せっかく中高一貫卒業したのに。有名私大卒業したのに。奨学金払ってるのに。学歴ないって思われたくない。使えないって思われたくない。

 

この思いに勝てない。勝たないといけないのかもよくわからない。

でもただ一つ、私にとっていちばん大切なのは、自分が幸せでいること。旦那さんに八つ当たりする毎日を過ごさないこと。ただそれだけ。

 

その幸せを叶えるためには、仕事を辞めることなのか、休日勉強することなのか、今のまま生きていくのか。

 

選ぶのは自分。どうなりたいか。考えよう。ずっとずっと考えて。思ったら行動しよ。

 

自分を好きでいることが、旦那さんの幸せに繋がる。これは揺らがないから、考えよう。

 

こんなんだけど、私は私が大好きだよ。