人性燗

既婚OLが思うこと

歳を重ねると思う、友達増えたなあ

今日は26歳のお誕生日。おめでとう自分。

 

昨日の夜、旦那がカウントダウンしてくれて、特大クラッカーが飛び出し、プレゼントを貰った。

 

なんて幸せな人生だろうと思った。大好きな人が私のために時間とお金をかけてお祝いしてくれる、私よりも嬉しそうにしてる、こんなにも幸せなことはない。

 

両親や兄以外に、こんなにも大切だと思える人と毎日同じ家で過ごせることを心から幸せに感じて眠った。

 

翌日、誕生日当日の朝、私は大人なので普通に会社に行った。

会社の人は私が誕生日だなんて知らない。(同部署の仲良しな先輩1人を除くけど)

 

会社に向かう電車で、大学の友達からおめでとうのメッセージ、嬉しい。

同じく電車で、他部署の超仲良しな先輩からおめでとうのメッセージ、嬉しい。

会社に着くと、出生時間に合わせた両親からのメッセージ、嬉しい。

働いてると、中高の友達、大学の友達、大学時代のバイトの友達、同じ部署の先輩、会社の元同期、大人になってからできた友達、色々な人からの沢山のメッセージ、全部嬉しい。

 

ああ、私、こんなに友達居たんだ。

こんなにも、私にとって大切な人がちゃんと居たんだ。

 

中学、高校、大学、私は「私友達居ないからさ〜笑」とよく言っていた。

そしてそれをいじられていた。(から、周りもそう認識してたんだと思う。)

 

でもそれは、「友達が居ない」のではなくて、「友達といえるほど相手を信頼する勇気がない」だったし、「ありのままの自分を表して認めてもらう勇気はない」だったんだな、と今気付いた。

 

私は私を大人にするために、大したものではないけど、今日まできちんと努力してきたと思っている。

 

中学高校では(女子校だったので)、女社会で生きていくために、自分のキャラを認識して、相手の気持ちを想像しまくって行動していたので、想像力は今でも優れているし、その人の特性を認識することが、人より少し得意な気がする。

 

大学生では男女について知り、おかげで可愛くなりたいという気持ちが芽生えて、努力した。新しく出会う人からは、ありがたいことに容姿を褒めてもらえる。

 

就職してすぐ、近くに家族や恋人も友達もいなかったので、とにかく本を、小説を沢山読んだ。少なくとも語彙力は養われたと思うし、文章を作ることを楽しいと感じられるようになった。

 

社会人を経て、会社や社会には自分とは正義が違う人が沢山いることを知った。でもそれを受容する努力をしたし、それは今でも続けている。

 

もちろんこれらは、全てが努力とは言えない。運もあるだろうし、恵まれた環境があったからこそできたこともあると思う。

 

だけど、この今までの自分なりの努力を、私は自覚しているし、結果はどうあれ、現状維持ではなく、常に少し上に上がろうと、頑張れる人間でよかった。(少しだけど)

 

おかけで、私は今の自分がすごく好きで、だからこそ人に素直に接することができて、その私を好きだと言ってくれる人が周りに居てくれる。やっと友達ができたような気がする。

 

思春期の頃は、「友達が大切」という気持ちが全くわからなかったけれど、26歳になった今、やっとわかる。

友達は、とっても愛しい存在だ。